2018年7月7日以来、多くの人々の生活を激変させた豪雨災害。
愛媛県宇和島市に親戚が何人もいるため、身近で起こった生まれて初めての大災害となり、様々なことを初めて感じ、行うこととなりました。
身近で起こった初めての大災害
親戚の多くは、みかんが特産の吉田町に家があります。土砂崩れが至る所で起こり、家を失ったり家族を亡くしたりということもたくさん起こった地域です。
私の親戚も、1軒が床上浸水と車の水没、1軒が床下浸水と車2台の水没という物的被害にあいました。大雨がよくある宇和島に長年住んでいても、こんなになったことは初めてで、ほんとにひどかったと言っていました。
うち一人は、前もっての避難指示のような連絡は入ってこず、玄関を開けたらもう目の前まで水がきていたそうで、消防の人に言われるまま2階に上がって水が引くのを待っていたそうです。そのいとこは一人暮らし。想像するだけでも心細くなります。
結果的には物の損壊がなかったところも、停電、道路の寸断、断水、二次災害への不安などで、不便で怖い日々を過ごすことになってしまいました。
物の支援は難しい
発災直後、何か助けになることがしたい、でも一人で動いたって微力にもならないし、自分に一体何ができるだろうと悶々としていました。
まず必要になるのは物資。道路がなんとか松山から宇和島までたどり着ける状態になったのはわりと早かったのですが、すぐに何か直接届けたい焦りを抑え、松山で支援物資を募って毎日配達している有志の方々がいると知り、仕分け作業を手伝わせてもらうことにしました。
そこで知ることになるのが、物の支援の難しさ。
その有志の方たちは、毎日現地に行ったときに直接、何が欲しいですかと聞き、要望のあったものの提供を募る、という方法をとっていました。理想的な手順だと思っていたのですが、実際には、自己判断で使えるかもと思ったもの、でも実は現地では持て余してしまうだろうと思われるものも、けっこう寄付されていました。(現地に届けるものはよく選んで持っていかれていましたが。)
私は災害関連以外のボランティアの経験があるのですが、そちらも同様で、使い道をちょっと悩んでしまうものをいただくこともありました。でも誰かが何かにうまく回すことができていたのは、寄付される物資の総量が多くなかったからなわけです。災害という、皆の危機感の強いことの場合、少しの「???」も、集まってしまって少しではなくなってしまったんですよね。
自治体によって、早い段階で物資の支援受付をストップしたところもあったのも、おそらくこういう理由からなのでしょう。物資の仕分けのお手伝いに行くと話した私を、少し苦い目で見ていた友人のいわんとしていたことが、実際に目の当たりにすることで痛いほどわかりました。
災害時に少しでもロスなく少しでも早く物資提供ができるような仕組みができないもんかなあ。
たとえば、国指定の災害初動支援企業、みたいなのを置いて(たとえば飲料メーカー)、自治体がそこに対して直接「水ください!」とか要請したらとりあえずすぐ届ける、費用は国があとで出す、とか?(すでにあったらごめんなさい。)