契約区切りで退職。リハビリできたから次へ!

昨年9月より、派遣社員として医師事務作業補助者の仕事に従事していましたが、年度末の契約の区切りで辞めました。再びプーです。が、今回は次の仕事が決まっていてのプーなので、なんと気が楽なことか!

辞めたのは、収入が全く足りないから。もちろん派遣のパートタイムで、それだけでは足りないことは初めからわかっていたことですが、慣れたら副業してカバーしようと思っていたのが甘かった・・・。大きな総合病院の外来窓口の業務は、想像していた以上に過酷で、毎日たった6時間の勤務だけどぐったり疲れてしまい、とてもじゃないけど副業どころではないなと思い知らされました。

それで、やっぱりフルタイムで賞与もあるところに移ろうと決めたのです。ご縁あって、合格をいただき、7月から正社員として働き始めます。

3か月間があくので、家のことでやらなきゃいけないことに丁寧に取り組んだり、前から企んでいたことに着手できたりしそうです。ちょうどよかった♪

 

たった半年の勤務でしたが、科の送別会では、ちゃんと送られるメンバーの一人として、ドクターや心理士さんに混じって送別していただけました。申し訳ないやら嬉しいやら・・・。

過酷でいつもなんだか胸が苦しく、そわそわ落ち着かず、よく寝込みましたが、すべて、これからの自分をつくる貴重な材料になりました。この数年でわからなくなっていたことが、「やはりこれでよかったんだ」と思えたことがたくさんありました。反対に、かつての自分なら違和感なかったはずのことに違和感をおぼえ、昔はなんで疑問に思わなかったのだろう、と思うようなこともあり、歳と経験とともに変わった自分を再認識したりも。

でも総合的にみて、目指したいはずの姿に間違いはないと確認できた半年でした。

この数年でわずらったコミュ障はまだ治りきらず。でも少し良くなったし、もっと治すにはどうしたらいいのかも見えてきました。

どうすれば治るか、それは、変わり者の自分の考え方は、人を否定するものではないのだから安心して表に出していいと思うようにすること。
昔は当たり前にできていたことですが、いつからか、自分の考えを口にすることが誰かを抑圧することになりそうだと思ったり、逆に「あなたの考えは知らない、周りに合わせて」と言われるに決まってると思いこんだりして、言葉を発するたびに罪悪感をおぼえるようになっていました。

だけど、そうではない、考えを述べると逃げていったり自分側に引き込もうとしたりするような相手でなければ、そして言い方を工夫すれば、自分は自分のままでもちゃんと存在できるはずだと思えるようになりました。

当たり前のことなのになー。ほんとにわからなくなっていたのです。

自分の考えは優先度最低だろうと思ってしまう癖が抜けたら、だいぶ生きやすくなるはずです。

 

そういうことに気づくきっかけとなった今回の仕事は、やらせてもらえて本当によかったと思います。

「次の職場が合わなかったら戻ってきてね」と言ってくれた先輩、脱落しますすみませんという私に「脱落じゃない、脱出!!」と笑顔で言ってくれた先生、忘れません。他にも、超多忙で疲労蓄積しているはずなのに送別のことばをかけてくださった、科のみなさん、ほんとうにありがとうございました。

自尊感情低く、まともに目を見て話すこともできなかった私を、普通に一員として見てもらえたことに、とても励まされました。何よりのリハビリになりました。今後の大きな糧になりました。

 

ところで、送別会での先生方の挨拶の言葉が面白くて感動しました。流れがよく、長すぎず短すぎず、わかりやすく、ユーモアたっぷりで、思いが詰まっていて。それもまた、貴重な経験でした。

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