新型コロナウイルスの影響で、活動自粛がまた求められるようになりました。そんな中、新国立劇場バレエ団の『コッペリア』の公演は会場には観客を入れず、無料のライブ配信になったとの情報を得て、有り難いことに地方に住む私でも観ることができました。
心にくるというよりは、頭で納得する感じの不思議で新鮮なバレエでした。少し感想をば。
ローラン・プティ版のコッペリアを通して観たのは初めてでした。振付はやはり独特で、群舞については常に音符の数と同じだけ体のどこかを動かしている(ステップを踏む、首を傾ける、顔を振るなど)ことが多く、正直、少し単調な印象。でも、「戦い」や「曙」といった、ストーリーとどういうつながりがあるかずっと疑問だった場面は他の踊りに置き換えられていたことには納得感。
最後まで観てみて、良かった!満腹!のような感じにはならなかったのですが、反面、「戦い」などの踊りの意味に加え、前から思っていた『コッペリア』の消化不良に感じる点を全部代弁してくれたような感覚はあって、うん、そうですよね、と冷静にうなずいて終われた、という感じでした。
これまで何が消化不良だったかというと、『コッペリア』のストーリー自体の軽さと、コッペリウスの扱いの酷さ^^;でした。
ストーリーはというと。
スワニルダは恋人のフランツが最近、コッペリウス宅の窓際に座る女性に気をとられていることが面白くなく、ある晩忍び込んでその女性に会おうとしたところ、実は女性は、コッペリウスが作った人形(コッペリア)だったことを知ります。見つかりそうになって隠れたときにコッペリアになりすまし、コッペリウスが人形に息を吹き込もうと実験を始めたのに乗って、人間に変身できた人形コッペリアを演じます。
同じく女性に会おうと忍び込んだフランツはコッペリウスに見つかり、お酒を飲まされて眠ってしまっていましたが、スワニルダにたたき起こされて目を覚まし、コッペリウスは人形が人間になったわけではなかったことを知り絶望する中、家をあとにします。
で、スワニルダとフランツは結婚することが決まり、村のみんなに祝福されて盛大な結婚式をあげました。という。。。
なんでそのタイミングで結婚が決まるのかよくわからなかったし、かる~い流れだったのに結婚のパ・ド・ドゥがやたら美しいのに違和感があったし、コッペリウスの本気の夢をあっさり打ち砕いておいてみんなで全力祝福しているのが可哀想だし・・・って思ってました。
今日のローラン・プティ版の振付では、ストーリーのメインとなっている部分以外ではあまり踊りを盛り上げないようになっていて(群舞の動きは単調)、でもスワニルダ(米沢唯さん素晴らしかった)とフランツとコッペリウスが動き始めるとストーリーも進み始めたことがわかるようになっているように思いました。
そして結婚のパ・ド・ドゥは短かった!アダージオの曲で二人は踊らず、スワニルダのソロの曲でやっと踊って、コーダは全員でという、簡素?な感じ。だけど、このストーリーの中で結婚式が感動的なシーンにはなりえないと思っていたので、なんか納得がいった気がしました。
あと、これまで観たことのあるクラシックの『コッペリア』では、スワニルダはフランツしか見ていなくて、フランツも今だけコッペリアが気になっているというようなほのぼのカップルの印象だったのですが、ローラン・プティ版では、二人ともモテてちやほやされていて、それがまんざらでもなさそうな、ちょっと遊び人のような印象で、意外なアレンジでした。
コッペリウスが腰の曲がった老人ではなくて若いおしゃれな男性だったのも意外。お年寄りが人形と話していても微笑ましいのが、背筋の伸びたイケメンがやると少し心配になってくるのは私だけでしょうか^^;
で、『コッペリア』でいつも私が心に残ってしまう、夢を壊されたコッペリウスの寂しい気持ちが、最後にめちゃくちゃ協調されていて、やはり可哀想にはなりながらも、ちゃんとそこにスポットが当たったことにはほっとしたというか。でも、疑問点を美しくぼかさず構成するとこうなるだろうなと納得しつつも、全体通してみると『コッペリア』の物語ってなんだったんだろうなー、という消化不良感は同じでした。
なんかすっきりしない感想になってしまいますが、いやー、でも自宅にいながらして、新国立の舞台をライブで観られたのは本当にいい時間でした。贅沢だな。またプロの舞台を実際に観に行ける日が早くくるといいなあと思います。