安定と前進の両方を叶えるには〜無自覚の自己虐待に気付き、やめる

昔からとにかく不安定な私ですが、少しずつ、いろんなことに安定と前進を備えられるようになってきた、イコール、自分の精神状態を程よいところに保てるようになってきました。しかしやりたいことが山積みなのに停滞していることもあるのは変わらずなのでもう少し前進を強めたいところですが、バランスを崩しすぎないことが疲れないコツだなと実感しているこの頃。

バランスを崩さないために気をつけていることは、まあ随所でいろいろあるんですけど、ざっくりまとめて言うならば、自分を偽らないこと、でしょうか。かなり昔から心がけているようで実はまだまだ詰めが甘かったんだなとわかってきました。偽らない、とは、自分がこうしたいとかこうありたいとか思うままでいるようにすることですが、そういった自分の理想を、自分自身で履き違えていた面がけっこうあるなと。

100%の陽キャは私には無理だった

小さい頃はとにかく内弁慶で、友達は仲のいい子が一人だけいるのが心地よいタイプでしたが、人とある程度話せるようになるのに時間がかかるのがコンプレックスで、誰とでもすぐ打ち解けて常に笑い声を絶やさないような陽キャに憧れていました。

小6ぐらいで親友だと思っていた子に”裏切られた”(芦田愛菜ちゃんがこの”裏切られた”感覚について完璧な持論を述べていましたね〜)ことがきっかけで多くの子と浅く広く接するようになり、大人になって人と接することも多い仕事についた経験などを経て、次第に、人とおしゃべりするのは難しいことではなくなっていきました。むしろ、新しい仲間が来たら自ら積極的に話しかけてその環境に迎え入れようとするようになりました。困っていそうだったら進んで様子を伺って、いい状況にするにはどうすればいいか考えたり何かしてみたりということに全力を注ぐくらいの勢いで。

そうすることで、人に好かれている感じがするし、自分も人といて楽しいと思っていたのですが、どうやらその、がんがん積極的にどんな人ともたくさん話すというやり方は元来の私にとってはエネルギーを消耗しすぎるもののようで、土日のどちらかはほぼ1日布団のなかで過ごすくらい休まないと体が持たなかったものです。そのときは疲れの原因がそれだとは気づいてもいなかったのですが。

最近は、他者の居心地も大事だけど自分がエネルギー切れにならないことはもっと大事だと考えるようになりました。とにかくしゃべって笑ってがエネルギー源になるタイプの人もいますが、そのタイプの人の元気を維持するために自分の身を削ることをやめました。自分は声に出す言葉が多いと疲れるんだなということに気がついたので、もっとしゃべらせてよ!という要求を感じても勇気を持ってそこそこで切り上げるようになりました。最初は罪悪感があったし相手の苛立ちも感じ取っていましたが、だんだんと相手もわかってくれるようになるものです。

褒めたがり褒められたがりから、信頼滲ませ好きへ

言葉の多い陽キャを諦め、言葉最小限のおとなしめキャラな本来の自分を認めたこととリンクするのですが、人と積極的に関わろうとしてた頃にやっていた、少しでもいいと思ったことは逃さず捉えて言葉に出して褒める、というのをやめました。とにかく褒めることで相手の自己肯定感は上がることが多いので自分がいいことをした気分になれるからだったと思うのですが、これまた、エネルギーをたくさん使います。特に、褒められるのが苦手な相手だった場合と、もっと褒めてほしくて仲良くなろうとされる人が相手だった場合です。前者のような人ばかりであればグイグイ褒めからさりげない褒めにシフトすれば良いだけなのですが、後者の場合はなかなか大変。その人にとっては私の褒め言葉があらゆることの基準になってしまいかねないからです。(大変とか言って、元はと言えばほじくり出してまで褒めた自分が蒔いた種なんですけども・・・。)それから、褒める行為に何か裏があるんじゃないかと受け取られることもあるかもしれないと思うようになったというのもあります。

また逆に、褒められること=相手が喜ぶことを最優先に行動していたようなところが昔はありましたが、エネルギーが枯渇するまで人の喜びを優先するのはやめました。まずは自分の心が愉しくなること(自分が大切に思うこと)に時間やエネルギーを使い、その合間や過程で、他者も助かったり喜んだりすることがときどき少しできればいいじゃないかと考えるようになりました。自分が使いたいようにエネルギーを使っていれば、ひと段落したときに少し誰かのお手伝いをすることには全く抵抗も疲れもないものです。

これを実現しようとすれば、人のやる気や好意を搾取しがちな人(悪意はなくても)とは距離をとることになります。かつてはそのタイプの人のほうが自分が頑張れば褒められることも多いので付き合いが多かったものですが、はっきり褒められなくても、一緒に仕事など何かする中でほんのりと信頼されている感じはわかるもので、それくらいのほうが心地いいなと思うようになりました。同じく、がっつり褒めるよりは信頼感を滲ませるくらいのほうが、よいしょっと頑張らなくてもチームワークのようなものができる気がします。

自分最優先でも、自分だけ優先ではない

自分の元気を保つことを大事に考えるようにはなりましたが、無理のない範囲で人のサポートもするほうが、心は安定していられるみたいです。さっきの”搾取”タイプが相手の場合には慎重にしないといけませんが、搾取されるのを避けるために人のことは何もしない姿勢をとっていると、これまた心の中にもやもやが生まれるもので。だから他者を優先することはもちろんありますが、それがコミュニティ全体のためにもなると思える場合のみにとどめておけば、『なんでもやってくれる都合のいい人』と誤解されることがなく、疲労感をなくしたり減らしたりできるように思うのです。

それもこれも、周りの人のおかげ

こんな感じで試行錯誤することで、自分のやりたいこともやりながら、倒れるほど疲れることも少なく日々を過ごせるようになってきたわけですが、これが実現できるのはやはり、周りにいる人の多くが、あなたはあなたよねと見守ってくれるタイプであることは大きいです。命令通りに人が動いているのを見ることに快感をおぼえられているなと思うようなことが、全くないことを望むのは難しいかもしれませんが、あまりないおかげで、こういう安定した状態になれてきたんだと思います。

短め人生を望まなくなった

そんなこんなで日々を過ごすことに辛さを感じることが減ってきたおかげで、短めの人生を望むことも減ってきました。以前は、長生きしたって、年取ってからはすることもなく暇で辛いだけだから、猫の寿命さえ見届ければ、60代半ばくらいで終わってもいいと思っていましたが、最近はそういうふうに思わなくなったんです。かといって長生きしたいと思うようになったわけでもないですが、だいぶ、生きづらさが減ってきた証拠なんだろうなと思います。

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