twitterで見たこのつぶやき、とても心が落ち着きました。
「大人になるというのは、感受性をある程度奥の方にしっかり隠しておくことなのです。心の殻をしっかり固め、蓋を分厚くしていきます。そうしないとこの世界を生き残っていけないからです。感受性をむき出しにしたまま生きていくのは、かなりきついですよ。きっと途中ですり切れてしまいます。」(村上春樹のつぶやき @EssentialWord1)
https://twitter.com/essentialword1/status/1072800294159835136
会社勤めを淡々と行えるようになったのは、この『感受性を奥の方に隠しておく』ことができるようになってから。恥ずかしながらやっとここ数年でのことです。
楽しい、嬉しい、わくわくする、腹が立つ、がっかりする、期待する、悲しい、辛い、不安だ、退屈だ、嫌いだ、好きだ、など、日常で当たり前に感じる感情をそのまま感じ取っていた、というよりむしろ実務的なことより優先して内面で味わい対人で表に出していた(感情表現が豊かであるほうが素晴らしいと思っていたから)ような頃は、勤務がとてつもなく苦痛に感じることが頻繁にありました。
ですがだんだんと、そういった感情を俯瞰するようになり、ちょっと横に置いといてとりあえず業務はやってしまおうか、ということができるようになってきました。
きっと一部の人の目にはつまらない人間に映っているだろうなあと思います。自分でも、感情の起伏が大きかった頃のほうが、いい波のときの楽しさは格別だったと思うのですが、落ちたときの辛さは何度経験してもこたえるもので、勤務どころか休日の家事や趣味さえまともに行えなくなったりしていたので、動きの少ない今のほうが全体としては過ごしやすく感じています。
まだ波の大きかった頃、内面的な話をしていて、リアクションが少ない友人に少し苛立ちを覚えてしまったとき、察した友人が「うまいことは言えんけど、何も感じてないわけではないよ」と言いました。今はその言葉の意味がとてもよくわかります。
今の自分でもいろんな感情はありますが、突き動かされるのではなく、「今はそう感じているんだな」と、情報として受け取っているという感じ。でももちろん全く感じていないわけではないから、なかったものにはしてしまわないよう、ふとしたときに不安定さが出ても慌てて掻き消したり恥だと思ったりはしないようにしています。
その、振り回されないけど無視もしないというのができたのはさらにこの数か月ぐらいのことでしょうか。その前までは、振り回されなさすぎてきっとロボットのようになっていたと思います(笑)。
感情が強く表に出てすぐ涙が出ることに感動を覚える人から見ると、こういう、コントロールしているタイプの人間は、冷たいとかつまらないとか映っているでしょう。涙が出た私のほうが素敵でしょと、嘲笑われているように感じたこともあります。けど、ちゃんと存在する感情を横に置いているだけなのです。社会の中で生きていくには必要なこと。プロとしてのスキルを1つやっと身につけられたのだと考え、自信を持っていようと思います。