2022年8月6日、のんちゃんが19年2か月の生涯を終えました。
持病の慢性鼻炎もある上、1年ほど前に腎機能がかなり落ちていることがわかって以来、食欲や排泄や元気が不安定で、昨年秋には尿閉塞も起こして一時危なくなったりしましたが奇跡的に回復し、長いことがんばってくれました。
まるで言葉が通じているかのようにものわかりがよく、人間の幼児と接しているように感じることの多い子でした。幼い頃から病院慣れしていて、採血も注射も少し我慢すれば終わるとわかっているよう。それどころか、病院のスタッフは全員自分に優しいことを感じ取っているのか、診察台で検査結果を待っているときなど、喉を鳴らして居眠りしたりしていました。
お顔も声も個性的で、可愛くて賢い、偉大な子でした。
若い頃からを思い返してみると、いつもと体調が違うと感じても、しばらく様子を見てからと言い訳してすぐに病院に連れて行かなかったことが何度かありました。強い生命力で回復してこれましたが、早めに連れて行ったら体がしんどい状態から早く脱することもできたかもしれないので、かわいそうなことをしたなと悔やまれることもあります。
それでものんちゃんは、ずっと私のことを好きでい続けてくれました。感謝も反省も、今後に活かしていきます。
ネットで検索して口コミがよかったペット霊園で火葬してもらったのですが、遺骨を拾うとき、スタッフの方がのんちゃんはどんな子だったか聞いてくれたり、これはどこの骨というのを説明しながら一緒に拾ってくれたりして、最後までじっくり見送るサポートをしてくださいました。
19歳とは思えないくらいがっしりして綺麗な骨だったそうです。
動物病院の方々にも大変お世話になりました。亡くなったことを報告したら、なんと自宅にお花を贈ってくださいました。それだけのんちゃんはよく頑張ったということだなと思いました。
動物病院のお仕事が大変なことの1つは、人間と比べて、どれくらい治療を行うか決めうる範囲がかなり広く、完全に飼い主に委ねられていることではないかと、晩年ののんちゃんの通院を経て思います。
終始観察しておくのが望ましいほどの容体になっても人間のように入院できる子は少なく(人手と場所の不足から)、自宅で時間とお金をかけてずっと見続けるのが難しい場合は延命治療は行わず、本人(ペット)が苦しむ症状が続く場合には安楽死という手段も、悲しいかな選べてしまいます。(のんちゃんも昨年秋の尿閉塞のときは、これが解消しなければ苦しすぎるので安楽死も考えうるというお話がありました。)
もう回復しない子に丁寧な療養管理を行うよりも、殺処分の危機にある犬猫を1匹でも多く引き取ることを選ぶ方も多くいるでしょう。
飼い主がどのくらいの治療を考えているか探りながら、自身の理想とする医療との折り合いをつけて診療にあたるのは、相当な精神的負荷だろうと感じました。
私自身、のんちゃんが本格的に具合悪くなるまでは、延命にあたる治療を続けるのは自分が挫折するだろうから極力自然に任せようと思っていました。ですがいざその時期が来ると、本人が苦しくない範囲のケア(点滴・投薬や排泄管理や食事内容の工夫)をすることで可愛い姿を見続けられるのなら、続ける以外に考えられないと思うようになりました。
幸い、時間とお金を確保できる在宅勤務への転職がうまくいき、夫が掃除洗濯を行って通院にも付き添ってくれるというサポートをしてくれたおかげで、この1年は寄り添ってこれた実感があり安堵しています。
同い年のちいちゃんも腎不全のケアを開始しています。他の子も含めて、ちゃんと診ていきたいと思います。